恐怖分子 雑感

okmonster2005-10-17

エドワード・ヤン監督の『恐怖分子』を観る。そういや、台湾映画って初めて観たなぁ。
俺がエドワード・ヤンを知ったのは高三の冬。今は無きBOX東中野で監督の特集が組まれてて、気にはなったが結局一本も観る事は無く(でもチラシはまだ持っている)、その後もよく高い評価を耳にするのだが、積極的な観賞には踏み切れないでいました。で、歳月を経て漸く重い腰を上げてビデオを借りるに至ったワケで…。
本当は『クーリンチェ少年殺人事件』が一番観たかったんですが、いきなり上映時間が4時間の大作ってのは俺の脳に多大な負担が掛かると判断。取敢えず上映時間の短いヤツから徐々に作風に慣れてく事にしました。
…おお、凄ぇ、主要キャラが多いクセして、キャラクタの転がし方が上手だから全然気にならない。何か登場人物がビリヤードの球の如く、あちこちにぶつかってって連鎖していく感じに似てる。画面作りも印象的で、あまりカメラを動かさず、切り替えしを多用しているので、写真を並べているような感じがする。
ただ、意図的なのか知らないが、照明を一切使わず全編自然光で撮っているので、画面が暗く(特に室内)、何をしているのか判らない箇所が多かったのが唯一の不満か。
本作は他者とのコミュニケーションに於ける負の部分をまざまざと見せ付ける作品で、何気ない会話や接触の筈なのに、誤解したり、傷付いたり、偽ったり、理解出来なかったり…。そうした些細なすれ違いが蓄積され、やがて悲惨な結末を生み出すまでの物語である。
だが、ラストで女性作家はベッドの上で嘔吐をする。これが“つわり”を表現したのであれば、妊娠も矢張りコミュニケーションの産物の一つである。もし、この仮説が正しいとするなら、新しく産まれてくる子は一体何を意味するのだろうか?