M 雑感

okmonster2005-10-06

文学史に詳しい人間が小説を沢山読んでいるとは限らない。現国のテストで“新感覚派”と“新現実派”の作家の区別が出来ても、それはあくまで知識としての記憶であり、実際に横光利一の作品を読んだ事の無い人は多いだろう。同様に、映画史に詳しい人間が映画を沢山観ているとは限らない。
だから俺は、今までフリッツ・ラング監督作品を一本も観なくても、「ドイツ表現主義が云々」とか「ナチスの台頭を予言し諤々」とか、本やネットで漁って得た知識だけで割と語れたりする。
そうとも、別に作品を観なくたって映画は充分に語れるのだ。場合によっては観た人間よりも、雄弁に。
・…とまぁ、以上の理由で自ら進んで古典を観る事の少ない俺ですが、時折「もう、知ったかぶるのはヤメにしよう」と思い立って名作ビデオに手を伸ばす瞬間がありまして、その度に「やっぱ古典とはいえ侮れんなぁ」と感心したり。で、また、暫くすると「古典なんて観るのは時間の無駄だ」とかいって、情報だけ吸収して知った気になる。…学習能力無いなぁ。
・もう、皆が散々批評し尽くしている作品なので、今更何も言う事は無いです。取敢えず簡単に解説すると、俺が知る限りロリコンサイコキラー*1が初めて登場した映画です。ドイツって進んでるなぁ(何がだ)。
殺害シーンも死体も見せない映画だが、グリーグペールギュントを口笛で吹きながら少女に近付いていく不気味さや、社会不安によって次第にヒステリックになる群集の狂気は、戦前の古臭さをちっとも感じさせない。
だが、この作品の凄いところは、殺人鬼を追い詰めていく話にも関わらず、観ている最中に「少女が殺されて可哀想」とか、「殺人鬼が恐ろしい」とか、「警察頑張れ」とか、「捕まってホッとした」とか、そういう感情を一切湧き上らせないところだと思う。
殺人鬼が法によって裁かれ、同時に法によって救われるラストの瞬間は見事*2。本作で描きたかったのは単に殺人事件ではなく、人が人を裁く事のおこがましさについてなのだろう。
・ところで、ビデオ版を借りたんだが、海外のサイトを覗くと、日本で公開されるバージョンって10分ぐらいカットされてるのな。

*1:実在の殺人鬼ペーター・キュルテンをモデルにしているが、実際には女の子だけではなく、老若男女問わずブチ殺していた。まぁ、性欲を満たす為に殺したケースでは大抵少女だったが。尚、彼は本作の封切られた1931年にギロチン刑に処された。うーん、タイムリー。

*2:まぁ、この後司法官が公正な判断を下すかどうかはこの際置いておく