妖怪大戦争 雑感

・「早く人間なりたい」と叫んだのはどこぞの半人半妖だが、この映画は観た人を「妖怪になりたい」と叫ばせる為に制作された作品である。会社もガッコも試験も無いニートの如き非生産性、ついでに病気も争いも憎しみも無く、徹底された快楽主義で植木等よりも無責任でチャランポランな妖怪連中を描くことで、観終わった後「いいないいな妖怪っていいな♪(『日本昔ばなし』のEDっぽく)」という気にさせたかったのだろう。
そもそもオリジナルである68年版『妖怪大戦争』ですら、和気藹々とした妖怪達を描きながらも、子供向けに勧善懲悪さを出す為「力を合わせてダイモン*1をやっつけよう」という、団結や闘争といった「本来妖怪が執着しないもの」を見せてしまっている。
だから今回は“妖怪は争う事を好まない”というスタンスを徹底させる為、劇中のクライマックスを「祭」と表現し、負のイメージを陽のイメージに転化させている。窮め付けは日本で最も妖怪と近しい存在である水木しげる御大の言葉。こう、何というか、劇中で発されたどのセリフよりも一番妖怪らしいセリフに聞こえたり。
・さて、この映画を愉しむ為に大事なのは唯一、童心に返る事だと思っている。だから鳥取から東京へ急ぐ為に飛行機の翼にしがみ付いてる主人公を見て、「イヤ、そんなコトしたらフツー死ぬから。」なんて無粋なツッコミを入れてしまった俺は、まだ純粋に愉しめていなかったっぽい。もっと幼く、例えるならコロコロとかボンボンに載ってる無茶な展開やしょーもないギャグを、決して斜めに構えず、素直に読めてた頃まで精神年齢を遡らせる必要がある。まぁ、だからと云って、この映画を単純に“子供向け”と括ってしまうつもりは毛頭無い。この作品には子供を少しだけ成長させるような何かと、大人を子供に戻すような何かの両方を持っている気がしてならないからだ。
・本作では妖怪の詳細な設定を民俗学・妖怪学の面から荒俣宏京極夏彦両氏によってキチンと理論武装されている。その為、「全く妖怪を知らん人に対する説明不足さ」というか、観る側に「この程度の概論は知ってるよね?」という要求しているのが欠点だったり。だから、映画を観るだけでは「ヒトガタって何だ?」とか、「何で小豆を混ぜるとダメなんだ?」とか色々疑問が残ってしまう人も多いかも知らん。
しかし、捨てられた無機物の怨念が叛旗を翻すって内容は、みなぎ得一の『大復活祭』ってマンガと似通ってる部分が多かったり。ま、妖怪のルーツから考えればネタが被るのは詮無いコトだと思うので、別にパクりとまでは云わんが。
・監督は子供向け映画初挑戦 *2三池崇史監督。『殺し屋1』で半端無い暴力描写を見せた監督なので、『牛頭』みたく栗山千明が件(くだん)を出産したり、『IZO』みたく神剣を持った神木隆之介が新宿で一般市民を斬りまくったりと、子供がどっ引きしてしまうようなエログロ描写も覚悟してたんだが(…いや、それはそれで凄く観たいが)、どうやら杞憂だったらしい。ただ、ほんの少しばかり、子供をフェチズムに目覚めさせるような微エロ描写がちらほらと(ここら辺が“子供を少しだけ成長させるような何か”の一つなのだが)。
・あと、エンディング観て気付いたんだが、スタッフロールには妖怪の名前が登場した順に並んでるのな。そういう些細なトコからも作っている側の「I LOVE 妖怪」っぷりが感じ取れました。
・もし続編が制作されるのであれば、是非海外の妖怪を出して頂きたい。出来ればバックベアードを!あと、ヨナルデパズトーリとかアササボンサンとかペナンガランとか…

*1:劇中に登場する悪い吸血妖怪。バビロニアの妖怪だが、何故か甦っていきなり日本にやって来る。

*2:アンドロメディア』は不問とす