折衷は折中と書いても決して間違いではないのだが、テストではペケを喰らう

単に「面白かった」とか「つまんなかった」といった感想ならまだいい。だが、明らかに見誤った意見を、さも真理と言わんばかりに述べてる文はチョット許せない。特に身内に近ければ近いほど。
今日、大学映研の後輩にあたるヤツのHPを覗いてみたら、『カンフーハッスル』の批評が載っていた。で、それはそれは的外れで勘違い甚だしいモノで、「おいおい、幾ら何でもそりゃないだろ。」と、思わずツッコミを入れたくなったのだが、卒業してからニ、三、口を利いた程度の人間に対して、いきなり「ココはダメ。あそこはマズい。」と偉そうに赤ペン添削するのも気が引ける。かと言って、黙って腹に溜めて置くのも俺の精神衛生上悪い。で、まぁ、折中案としてココに日記として認(したた)めておこうかと。どうせ、こんなトコまで読んでないだろうし。
そもそも、この後輩、(『燃えよドラゴン』位は観てるんだろうが)カンフー映画と香港アクションを一緒くたにしてる節がある。チャウ・シンチーは当時のブルース・リーブームにより濫作された作品群の泥臭さ、残虐さを今の最新技術と(あと、ギャグを)併せて再現しているのに、そこら辺を解ってない。
それと、彼がパロディーと主張する作品と本作の関連性の薄さは致命的だ。監督の意思を汲まず、手前の観た映画の中で似てるシーンをチョイスして、無理矢理当て嵌めただけの強引さは、卍のマークを見て、“形が似てる”という理由だけでナチスと関連付けるみたいで支持できない。「あのシーン○○みたいだったよねぇ」と与太話にするならまだしも、正面切って「あれは○○のパロディだ」とマジで語るのは頂けない。視野が狭いっつーか、自分の尺度だけで物事を測ると大ファールになるのは当然だ。物を言う前に軽く下調べをした方がいい。まして、ネットで全世界に晒す文章なら尚更だ。
彼の日記(っぽいもの)を読んでると、俺なんかより沢山映画を観てるような気がするんだが、今時のヤツを観てるだけじゃ、やっぱダメなんだな。『ジャッカル』でブルース・ウィリスを褒めてる感想なんて初めて観た気がするぞ。リメイク元の『ジャッカルの日』なんて観た日にゃ絶対褒めたりなんかしねぇって。