そもそも京劇ってのは気軽に入れるモノなんだろうか?

バイト先でテレアポ派遣社員としてやって来た人がいた。一週間という超短期間の派遣だったので、さして親しくなるヒマも無かったが、一昨日に開催された歓迎会でアルコールを入れて話し込んだのをきっかけに、昼休みとかにニ・三、会話を交わす程度の仲にはなった。俺とタメの男性だが、彼の体験談は非常に濃く、素で驚いてしまう。
学生時代はバックパッカーで世界を放浪した彼は、中国で京劇の一団に混じり、北の国でブタ箱に入れられそうになり、前職はインド料理屋の店長で、趣味は和太鼓だという。俄かには信じ難く国際色の豊かな略歴だが、初日に仕事で電話先のチャイニーズと思しき相手に、キチンと中国語で対応してたので、ある程度話に信憑性が帯びてくる。
が、そんな彼の話を羨慕しながら耳を傾ける一方で、内容を100%鵜呑みに出来ない俺がいる。“どうせ一週間で出てくような会社だ。途方も無く波乱万丈なキャラを演じ、相手が驚いたり感心したりする様を見て、楽しんでやろう”と、心の奥でほくそ笑んだりする…。そんな悪戯にも似た遊びを、彼は現在繰り広げているのではないか?と、下衆な勘繰りを暴走させる時もある。
これは自己防衛の類なのだろうか?惜しまれながらも夭折していった尊敬する偉人やアーティストならいざ知らず、これ程身近なトコで、まるで不二家ネクターを煮詰めた様な特濃人生を送っている同い年が存在することに対し、長年象牙の塔に引篭り、薄っぺらい知識だけで世の中を理解している自分が卑小に見えないようにと、脳が築いたバリアーのようなものが、彼の一生を否定的に、懐疑的に捉えているのかも知れない。と、思ったりもする。
彼は来週から大阪で通訳の仕事をするそうだ、「へぇ、住む所とかどうすんの?」と俺が訊ねると、彼は右手の小指だけをちょいと突き出し「地元のコレの所に厄介になるよ。フィリピーナなんだけどさ。」と、答え、一足先に退社した。俺は彼のこれからを心の中で応援しつつも、手前の眉に唾をつけてから残りの仕事に取り組んだ。