だけどこんなに胸が痛むのは 何の花に例えられましょうか?

街を歩いていたら「生まれてから今まで一度も花を美しいと思った事が無い。」というコトに気が付いた。例えば桜に関しても、“儚さ”とか“もののあはれ”といった退廃的な美よりも、寧ろ“清掃とか面倒臭ぇだろうなー”といった即物的観点で捉えてしまう。
幼い頃から花屋や植物園が醸す特有の甘ったるい青臭さが嫌いだった俺にとって、花は“そこに咲いているだけの詰まらない存在”にしか映らず、専らウツボカズラやハエトリソウといったイロモノの食虫植物にしか興味を示せませんでした。…まぁ、本来、男の子が普通の花とかに興味を持ったりはしないんだろうが、映像作品を制作する上で美的感覚を養おうとなると、植物の美しさを理解しておく必要があるのではないか?という思いに駆られてしまうワケだ。
じゃあ、俺は一体どんなものに美を感じているのだろうか?広辞苑によれば、“形・色・声などが快く、好ましい、きれいである”モノを指すらしい。(*異性の肉体から感じる美は根本に性的本能といった下世話なモノに直結している感じがするので敢えて除外)
…うーん、ムダの無いシンプルなデザインや機能美、それとは全く逆に大見得を切るような誇張から生み出される美とかかな?そういうのだったら素直に美しいと感じられるのだが、“花”からはそうした美は微塵も感じ取れない。第一、花ってのは動物でいえば、生殖器に該当する箇所だぞ。そんなモン見て「綺麗」とは言わないよなぁ。
そこまで考えてから、昔、誰かが言った「美しい『花』がある。『花』の美しさという様なものはない。」という言葉を思い出す。きっと分析で理解するモンじゃなく、感じるモノなんだろうね。
いつか、ふと美しい花に遭遇することを信じて、もう少し待ってみる。